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ワダカルシウム製薬株式会社
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ワダカルシウムの歴史館


誕生秘話



誕生秘話
お客さまの声を大切にしたい。
しっかりとした商品をつくりたい。
骨を大事にせんと、あきまへん。
骨の専門家として人々に役立とう。
年表

お客さまの声を大切にしたい。
 むかし「骨まで愛してほしい」という歌が流行った。よく考えるとすごい歌なのだが、本当に骨まで愛してしまった会社がある。それがワダカルシウム製薬。前身は和田卯助商店といい、大阪の船場・道修町にある江戸時代から続く和漢薬問屋だった。初めから骨に詳しい専門家だったわけではない。
 主人の三代目卯助(幼名・政治郎)は、明治十五年の生まれながら、時代の先を見ぬく目と新しいことに挑戦する気概を持っていた。明治という変革期が生んだ男といえるかもしれない。その根底にあるのは「まじめさ」。現代では当然のこととして行われている「お客さまの声」を知ること、それを実行したところに時代を超えた感性があった。しかし、新しいことへの挑戦は、失敗がつきものだ。卯助も挫折を繰り返し、ついに「ワダカルシューム錠」を開発し、世に出した。 あきらめなかったのは、「人を健康にしたい、喜んでもらいたい」という思いがあったからかもしれない。そんな彼の歩いた道をたどってみよう。

●困っている人たちを、何とかできないか。
 明治四十二年の七月が終わろうとする日の早朝、道修町にある和田卯助商店で仮眠していた政治郎は、ただならぬ気配に目覚めた。
 格子窓から道修町通りを見下ろすと、早起きの丁稚たちが騒いでいる。半鐘がけたたましく鳴った。火事だ。政治郎は、転がるように階段を下り、堺筋まで出た。中之島の北西、北区空心町あたりの空が燃えている。火は、強い東風に煽られて、次々とその魔手を広げていく。
 政治郎の膝は小刻みにふるえた。
 この火事は「北の大火」または「天満焼け」といわれ、北区の半分と福島区の一部、一万一千三百戸余りを焼失させる大惨事だった。
 政治郎、その時二十七歳。まだ青二才だった。
 二十六時間後にようやく鎮火。死傷者は、六九二人。たくさんの犠牲者に政治郎は心を痛めた。しかもその中に卯助商店の顧客が十数人いた。
 政治郎は思った。薬屋として何が出来るだろうか、役に立ちたい。

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Copyright(C) 2003 Wada Calcium Pharmaceutical Co.Ltd.,All rights reserved.
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